朝鮮半島、危機は突然訪れる!③

・遷都

ソウルのマンション建設ラッシュはまだまだ続いています。その販売価格も坪単価で、東京のマンションの2倍~3倍しています。そんな高額物件が次々と売れるというのですから驚きです。

前話から述べているように、ソウルは北朝鮮に近接しており、地政学的に極めて危険な都市です。北緯38度線の南北軍事境界線付近には、北朝鮮軍の長距離砲など300門以上がソウルを標的にしており、これらが一斉に火を吹けば、ソウル市民100万人に死傷者が出ると言われています。

それでも、ソウル市民は市内に高額なマンション物件を買い、そこに資産を形成します。因みに、保険会社は戦争で家屋が損傷を受けても保険金を支払いません。どの国でも、戦争は保険金支払いの免責事由となります。

戦闘がはじまれば、朝鮮戦争の時のように、漢江の橋を落とし、漢江を防衛線にする戦略を取ることが想定されます。そうなれば、また、ソウル市民はどこへも逃げることができません。

韓国では、首都を南に移すことも検討されました。朴槿恵前大統領の父の朴正煕大統領は1970年代、首都移転構想を打ち出します。これは実現しませんでしたが、その後、盧武鉉大統領がソウルの南東120キロの地に「世宗市」を建設し、ここを新しい首都にしようとしました。しかし、保守派の反対や2004年に出された憲法裁判所の首都移転違憲判決により、遷都計画は頓挫しました。

朝鮮戦争の時代、韓国は追い詰められて、水原、大田、大邱、釜山と政府を移しました。それ以降、ソウルに首都を置き、北朝鮮を押し戻すということが政府の使命とされ、ソウルから遷都することは「後退」と否定的に捉えられたのです。

 

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荒廃したソウル市内で、がれきの中に座りこむ年配の女性(1950年11月1日、写真=ROGER_VIOLLET)

 

・「脅威」が「脅威」を呼ぶ

1950年6月25日、朝鮮戦争の開始から1週間で、韓国は政府を釜山へ移します。李承晩大統領ら政府は国民を見捨てて、ひたすら逃げるのみでした。無為無策の政府に対し、国民の批判と怒りが沸き起こります。

政府はこれらをかわすため、スケープゴートを探し、とんでもないことをはじめました。韓国現代史の最大のタブーとされる保導連盟員の大量処刑(保導連盟事件)です。政府は、韓国軍が北朝鮮軍に簡単に敗退するのは韓国民の中に北朝鮮と内通するスパイがいるからだ、と喧伝しました。

保導連盟とは共産主義からの転向者や政治犯、その家族らを再教育するために加盟させた組織で、言わば政府に批判的な人々をリストアップした集団でした。中には、貧困層も配給がスムーズになされるからという理由で加盟させられ、素行不良な一般市民も多く含まれていました。

李承晩は「ブラック・リスト」に載っている彼らをスパイと決め付け、軍や警察に処刑するよう命じました。反対派を恐怖政治によって黙らせ、政府の無為無策をスパイの責任にしてしまおうという魂胆でした。

このとき、処刑された保導連盟員は韓国全土で、20万人から120万人とされます。遺族会は114万人としています。いずれにしても、朝鮮戦争で犠牲になった人々のほとんどが実は、北朝鮮軍によって殺されたのではなく、自国の政府によって殺されたのだということを忘れてはならないでしょう。

この大量処刑で、政府批判はピタリと静まります。政府にとって、この措置は極めて効果的であったのです。

危機は敵・味方区別なく、あらゆる存在を「脅威」に変えてしまいます。「脅威」が「脅威」を呼ぶという負の連鎖の中で冤罪が巻き起こり、必然的に、多くの犠牲者が発生します。

 

・アメリカ軍も敗退

政府が釜山へ移った7月2日以降、待ちに待ったアメリカ軍の部隊投入がはじまります。「アメリカ軍が来ればもう安心だ」と李承晩は手放しで喜んだといいます。

ところが、アメリカ軍は士気の高かった北朝鮮軍に各地で敗退しました。アメリカ軍では、第2次世界大戦の終結時に多くのベテラン軍人が退役しており、急ごしらえの実戦経験のない部隊が編入され、士気も低かったのです。

アメリカ軍は大田(テジョン 韓国中部の都市)で大敗すると、釜山まで撤退します。その間、北朝鮮軍により、アメリカ兵捕虜が虐殺される「303高地の虐殺」が起きています。北朝鮮金日成は「解放記念日」の8月15日までに、釜山を陥落させて、朝鮮半島を統一すべしと声明を発表します。

焦った李承晩は日本の山口県に亡命政府を受け入れてもらうよう、日本と交渉をはじめています。李承晩は大の日本嫌いであったにも関わらず、日本に助けを求めたのですから、まさに恥も外聞もありません。

しかし、当初、敗退し続けていたアメリカ軍も釜山近郊でようやく、北朝鮮軍を押し返しはじめました。「アメリカに助けてもらう」という李承晩の目論見は何とかギリギリのところで達成されたのです。

 

拙稿プレジデント・オンライン記事元

http://president.jp/articles/-/22707