南シナ海の領有権を否定された中国

南シナ海の領有権問題

12日、オランダ・ハーグの仲裁裁判所はフィリピンの訴えを認め、中国が主張するスプラトリー諸島(中国名「南沙諸島」)などにおける領土主権を「法的根拠はない」と判定しました。スプラトリー諸島をはじめ、南シナ海のほぼ全域で中国が主張する主権や権益を国際司法がハッキリと否定しました。

これに反発する中国は今後、同地域への軍事的進出の度合いを強めていくとみられます。1992年、中国が制定した中国領海法では、南沙群島、西沙群島、東沙群島、中沙群島さらに台湾、尖閣諸島などはすべて中国の領土であるとされます。

フィリピンにとって、勝訴となった今回の裁判結果ですが、注意しなければならないのは、フィリピンと中国が領有権を争っているスカボロー礁(中沙諸島内)、および中国が埋め立てと飛行場などの建設工事をしているスプラトリー諸島(南沙諸島)について、フィリピンの領有権が認められたのではない、ということです。

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飽くまで、今回の裁判はこれらの領域に関する中国の領有権を否定したに過ぎません。南シナ海の島や岩礁の領有権問題は、以下の図のように、中国やフィリピンだけでなく、ベトナムなどの国も絡み複雑で、国際司法も容易に領有権や帰属を判定できないというのが実情です。

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南シナ海に関し、アメリカとフィリピンの歴史的な関係をおさらいしておきましょう。

 

・スービックとクラーク

第二次世界大戦後、1946年、アメリカはフィリピンの独立を認めます。その一方で、アメリカはフィリピンと軍事基地協定を結び、アメリカ軍のフィリピン駐留を認めさせます。この協定により、フィリピン北部に、スービック海軍基地クラーク空軍基地が作られます。これらの基地は、南シナ海全域をカバーすることのできる戦略の要衝で、1965年から本格化するベトナム戦争の際には、アメリカ軍の軍事拠点ともなりました。

冷戦の終結後、左派勢力がアメリカ軍基地反対運動を起こします。当時の大統領は民主化を掲げていたコラソン・アキノ大統領で、1991年、左派の議員とともに米軍基地協定の延長を拒否し、翌年、アメリカ軍をフィリピンから撤退させます。

その直後、スプラトリー諸島(南沙諸島)に、中国が進出しはじめます。中国のフィリピンへの挑発的行動はエスカレートしていき、1995年、フィリピンの排他的経済水域EEZ)内のミスチーフ礁に侵攻し、中国漁民を守るためと称し、無断で建造物を作ります。その後、中国は周囲を開発し、発電所やヘリポートまで建設し、事実上、実効支配していきます。2013年、中国は南沙諸島東部に艦船を展開させます。

2014年、同地域にある浅瀬ジョンソン南礁で、中国が、埋め立て工事を行いました。浅瀬を中心に数百メートルにわたって、埋め立てられ、軍事拠点にするものと思われています。

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・アメリカ軍を呼び戻すフィリピン

フィリピンの海軍力・空軍力は脆弱で、1992年のアメリカ軍撤退以降、フィリピン周辺地域一帯が、軍事的に空白地帯となります。そのスキを突いて、中国が進出しているものの、フィリピンは有効な対抗手段を講じることができませんでした。

その軍事的な空白を埋めるべく、フィリピンは2014年4月、アメリカと新たな軍事協定を締結しました。一度、撤退をさせた、アメリカ軍を再び、フィリピンに呼び戻すことになったのです。この決断をしたアキノ大統領は、皮肉にも、アメリカ軍を撤退させたコラソン・アキノ大統領の子です。かつての海軍基地スービックを中心に、アメリカ海軍を駐留させる方針です。

新協定調印後、アメリカとフィリピンは、合同軍事演習を大規模に行い、敵に占領された島を奪還するという想定で、両軍の合同部隊が作戦の手順を確認しました。

このようなアメリカとフィリピンの歴史的な関係は、基地問題を抱える日本にとって、示唆に富んだものであります。日本もフィリピンも、海洋国家であり、地政学上、様々な国の戦略的な駆け引きの拮抗点に位置し、微妙なパワー・バランスの上に成り立っています。この均衡を維持するために、どのような外交関係を構築していくべきか、我々は難しい課題に直面しています。

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