ヨーロッパ統合の歩み

EU離脱大英帝国の栄誉ある国民がなぜ

EU(欧州連合)からの離脱の是非を問うイギリスの国民投票、こんなものをそもそも、おこなう必要などあったのでしょうか。このような高度な政治判断を必要とする問題を、国民投票に掛けるということ自体が適切だと思えません。

キャメロン首相2013年、民投票を施すると約束しました与党保守党の内部で、EU離脱を主張する勢力が増大し、これを牽制するため、キャメロン首相は「国民に決めさせよう」という意向で、軽率とも言える決定をしました。

2015年のでは民投票を公約にげて、保守党が勝ちました。キャメロン首相は国民が「離脱」という判断をすることはないだろうとタカを括っていたのかもしれません。

しかし、イギリス国民の間では、移民の加にする不、ギリシアの債務危機など、問題の山積するEUへの不信感が増幅していました。

イギリスはEUから離脱すると、関税の減免を受けられなくなり、EUと新しい関税協定を取り決めなければなりません。その際の関税基準がどうなるかなど予測がつかないとされます。イギリスの輸出の約4割がEU向けとなっています。

イギリスの離脱が他のEU加盟国の離脱を誘発する可能性も懸念されます。

イギリスが分断される可能性もあります。今回の国民投票残留派が過半数を占めたスコットランド(62%)、北アイルランド(55.8%)は、EUに残留するため、「連合王国」から分離独立するべきと主張しています。

EU離脱はイギリスにとって、利益にはならないこと明白です。

以下、EU、ヨーロッパ統合の歩みについて、基礎的な事項をおさらいをします。


・ヨーロッパ統合の歩み

戦後の苦況を脱した西欧諸国では、経済協力を進め、相互対立を防止し、欧州を統合しようとする動きが現れます。

1950年、フランス外相ロベール・シューマンシューマン宣言で、ドイツ、フランスの石炭・鉄鋼の共同管理を提案します。

石炭、鉄鋼は、それまで独仏対立の火種となっていた資源ですが、その生産を共同管理機関の下に置くことで、両国の和解と平和を進めようとしました。

1952年、シューマン宣言を踏まえ、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が創設されます。さらに、1958年には、経済統合を進めるヨーロッパ経済共同体(EEC)、原子力エネルギー分野での共同管理を進めるヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)が発足します。

そして、これら3つの共同体は1967年、運営機関が統合され、ヨーロッパ共同体(EC)が発足します。これが今日のEUにつながる欧州統合の源流となりました。

 ランスのド・ゴール大統領は、「フランスの栄光」を掲げて、アメリカとイギリスの影響力を排除して、フランス優位主義外交を展開していました。ヨーロッパ統合について、積極的に推進しましたが、イギリスのヨーロッパ経済共同体(EEC)加盟に反対しました。

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ド・ゴール大統領、「イギリスはアメリカのトロイの木馬である」と批判

 

このように、ヨーロッパ経済共同体(EEC)は当初、フランスが主導し、インナー・シックスと呼ばれる6つの原加盟国フランス、西ドイツ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、イタリアで運営されていました。

イギリスは、これに対抗するため、1960年、ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)を組織します。アウター・セブンと呼ばれる7つの加盟国イギリス、北欧三国(スウェーデンノルウェーデンマーク)、オーストリア、スイス、ポルトガルで運営されます。

1973年には、ヨーロッパ共同体(EC)に、それまで加盟を拒否されていたイギリスの加盟が認められ、アイルランドデンマークも加盟して、拡大ECとなります。さらに、1980年代にはギリシア、スペイン、ポルトガルが加盟して12ヵ国体制となります。

また、1989年には、ベルリンの壁崩壊とともに冷戦が終わり、東西ドイツが統一された後、ECは1991年、欧州連合条約(マーストリヒト条約)の合意(発効1993年)により、新しい統合体であるヨーロッパ連合(EU)を誕生させます。

EUは旧共産主義圏の中東欧諸国をもメンバーに取り込みながら、さらに拡大と深化を続けました。現在のEUは28加盟国で構成され、総人口は約5億人、GDPは約16兆8,000億ドル規模(日本の3.8倍、米国の1.2倍)にも上ります。

1999年、単一通貨「ユーロ」の導入が決まり、2002年に、ユーロの紙幣と硬貨の流通がはじまりました。