安保法案の歴史

自衛隊の誕生  

先月、安全保障関連法が施行、日本が直接攻撃されなくても集団的自衛権による武力行使が可能になりました。安保の法的な枠組みは今のままではいけない、多くの人がこのように考えていると思います。安倍総理解釈改憲閣議決定した上で、現実の国際情勢に適合した安保法制の枠組みの創設を急がなければならないと主張しています。  

一方で、これほどの重要な問題を解釈改憲で、進めていいのか、と批判する声も少なくありません。しかし、憲法改正と言っても、簡単にできることではありません。簡単にできないからと言って、安保法制の整備を放置するわけにもいきません。大きなジレンマに直面する日本。

日本軍は日中戦争をはじめるに当たり、中国を過小評価し、一気に全土を制圧できる、と考えていました。日本軍は1937年11月、上海を占領、蒋介石の国民政府の首都南京を12月に占領しました。その際、大量の捕虜、民間人を虐殺する「南京虐殺事件」が起こった、と中国側は主張しています。日本はこれを認めていません。

1938年、長江中流の武漢を攻略しました。蒋介石の国民政府は長江上流の重慶に退き、ビルマ方面からイギリス、アメリカの支援を受けます。これを「援蒋ルート」と言います。日本軍は「援蒋ルート」を遮断するため、さらに南下し、香港を占領します。しかし、この時期から、日本軍は広大な中国大陸の中で、中国軍を捕捉できず、戦争は泥沼化していきます。

1939年、北部のモンゴルで、日本軍はソ連軍と衝突し、ノモンハン事件を起こします。日本は敗退し、北進することができなくなります。日本は石油資源を求めて、南進策をとり、フランス領ベトナムに進駐します。これにより、フィリピンを植民地にしていたアメリカを刺激し、ついに、1941年、太平洋戦争がはじまります。

1945年、昭和20年、広島、長崎に原爆を投下され、日本は無条件降服しました。日本はマッカーサー率いる連合国軍最高司令部(GHQ)の統制下に置かれます。

GHQの指導の下、1947年5月3日に日本国憲法が施行されました。第9条の戦争放棄、軍隊の不保持などの規定も、GHQが草案を作成しました。

しかし、1950年、朝鮮戦争が勃発すると、アメリカは日本に対する占領政策を一変させます。憲法で規定された平和主義にも関わらず、アメリカは日本に朝鮮戦争の支援を要請しました。北朝鮮は中国やソ連の支援を受け、韓国に軍事侵攻しており、韓国を助けるアメリカは苦戦を強いられることが想定されていました。

アメリカは日本を同盟国として迎え入れるため、早期に主権回復をさせます。1951年、サンフランシスコ講和会議を開催し、日米安全保障条約を締結します。

GHQのマッカーサー朝鮮戦争勃発直後、7万人規模の警察予備隊を創設するよう指示し、当時の吉田茂首相はこれに応じました。警察予備隊は日本の治安を取り締まり、日本国内で増大していた共産主義勢力を武力鎮圧するための事実上の軍隊でした。警察予備隊に、戦争責任公職追放になっていた旧軍人たちが幹部として、採用されました。吉田首相は「警察予備隊は軍隊ではない」と説明し、憲法との整合性を図りました。

1952年、警察予備隊を保安隊に改組し、同時に保安隊を統轄するための保安庁が設置されました。1953年、朝鮮戦争が休戦となると、国会や世論が保安隊の位置付けや役割、さらに必要性について、追及しはじめます。

政府は保安隊を自衛のための組織と定義し、1954年、自衛隊法と防衛庁設置法により、保安隊は現在の自衛隊に改組されました。陸上・海上・航空の三部門で構成される自衛隊は当初17万人規模でスタートし、現在では30万人規模となり、世界有数の軍事組織となっています。

 

自衛権の解釈の歴史

吉田茂首相は当初、「憲法自衛権を直接には否定していないものの、その発動は不可能である」と国会で答弁をしました。敗戦直後の状況下にあって、自衛権に対しては慎重な姿勢を取らざるを得なかったのだと思われます。

続く、鳩山一郎首相は「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない」との見解を示しました。過去に自衛の名のもと、戦争に踏み切った日本の行動を反省し、憲法は海外での武力行使を原則、禁止しています。しかし、鳩山一郎内閣は、自衛のための武力行使憲法が認める範囲内である、と解釈しました。

日本国憲法には、自衛権という言葉すら、ありませんが、自衛権は国際社会の中で「国家固有の権利」として認められてきた経緯があり、憲法の条文になくても、日本は国家として自衛権を持っている、と解釈されているのです。日本が他国から一方的に武力攻撃や武力侵略を受けた場合、それを阻止する手段はやはり武力しかないため、その場合に限り、武力行使が認められると解されています。

しかし、武力行使を禁じている憲法9条がありながら、自衛のための武力行使を認めるということに、矛盾は生じないのでしょうか。

憲法前文において、「平和的生存権」が日本国民にある、と定められています。また、憲法第13条において、「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」も定められています。政府は、憲法前文と第13条の趣旨を踏まえ、「憲法9条は、外部からの武力攻撃によって、国民の生命や身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていない」と解釈します。

政府は「わが国がみずからの存立を全うし、国民が平和のうちに生存する」ことを守るためにも、自国防衛の武力行使を放棄しないと、表明しています。自国を守るための自衛権行使は専守防衛という条件においてのみ、憲法も、これを許容すると、解釈されています。このような、国家が「自国を守る」ための固有の権利を、個別的自衛権と言います。

60年日米安保論争の時代に、安倍首相の祖父にあたる岸信介首相が集団的自衛権の「制限的保有論」を唱えました。集団的自衛権は、自国と密接な関係がある外国に対する武力攻撃を、自国が攻撃されていないにもかかわらず、実力(武力)で阻止する権利です。一方、自国に対する武力攻撃を自力で排除する権利が個別的自衛権です。

憲法9条は「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定めており、内閣府法制局は集団的自衛権を「憲法上、行使できない」とする姿勢をとりました。結果、岸首相の「制限的保有論」は認められませんでした。

 

・集団的自衛権の拡大解釈

集団的自衛権が拡大解釈をされると、際限なく、武力行使することが論理的に可能となります。前述の第1次世界大戦の時の日本のように、イギリスの商船ための保護防衛が中国への支配拡大にまで、繋がったという極端な例は、現在の国際情勢の中ではあり得ないでしょう。

しかし、日本の周りの国々が、日本の過去の拡大解釈の事例を取り出して、日本がまた、軍事膨張主義を展開しようとしている、という政治的中傷に利用するでしょう。こうしたことを避けるためにも、日本は集団的自衛権を行使しようとするならば、その適用範囲を明確に定めておかなければなりません。

集団的自衛権行使に関する、国際的に明確な基準はなく、国際政治の中で、自国に都合よく、行使されてきた現実があります。集団的自衛権の行使が、自国の防衛を通り越えて、他国への軍事介入の名目として使われたり、他国の戦争に積極介入する口実として使われたりしました。

例えば、1968年、「プラハの春」で知られるチェコスロバキア民主化運動をソ連が鎮圧する際に、ソ連チェコスロバキアを撹乱分子から守るためと称して、集団的自衛権を行使し、軍事介入しました。1980年、同様に、ソ連が、アフガニスタンを反乱者から守るためと称し、アフガン侵攻を行いました。

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1968年、「プラハの春」を鎮圧するソ連

 

チェコスロバキアアフガニスタンは他国の侵略を受けていなかったにも関わらず、これらの国の内部の反乱分子を鎮圧するとの口実で、ソ連は集団的自衛権を一方的に拡大解釈し、行使しました。

ドイツ系イギリス人の国際法学者のL.オッペンハイムは1905年の論文『国際法』で第三国(第三勢力)に武力行使する際の法的な正当性について、論じています。彼はその正当性を「攻撃を受けた他国の安全と独立が、自国にとって死活的に重要な場合」に行使できるという論理を展開し、国際法の通説となっています。

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