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TPP、リカード、マルサス

・150年前の貿易論争

日本が交渉参加を表明してから2年半、先月、TPP(環太平洋パートナーシップ)の交渉がようやく大筋合意に達しました。TPP自由貿易協定と、どの様に向き合うか、 について様々な論争がなされていますが、 150年前の19世紀イギリスも関税を撤廃して、 自由貿易協定を築くかどうか、で国論が二分していました。

イギリスは元々、土地の痩せた国で、農業には向いておらず、 肥沃な土地を有するフランスやロシアの農業には太刀打ちできませ んでした。当時、イギリスでは穀物法という法律によって、 フランスやロシアから入る、安くて良い小麦に高関税をかけて、 競争力の弱い自国の農業を保護していました。  

19世紀のイギリスは産業革命を経て、工業化が進んでおり、 綿織物や鉄、機械を生産し、 世界の工業シェアを独占していました。 商工業経営者たちは農業を過剰に保護することを止め、 自由貿易を推し進め、 イギリス製の工業品をヨーロッパ諸国に大量に売り込もうと考えて いました。そのような立場から、 穀物法を廃止するべきと主張していました。

当時のイギリスの財界には、 今日の日本でいう経団連のような組織があり、 経団連TPP推進を主張するのと同じように当時のイギリス財界 も穀物法廃止・自由貿易推進を強く主張し、 農業経営者らと対立していました。  

穀物法をめぐり、議会をはじめ、学会や論壇、マスコミなどで、 激しい論争が展開されました。 穀物法の維持を主張した有名人の一人が経済学者トマス・ ロバート・マルサスです。マルサスは、 当時の人口の急激な拡大が食糧危機をもたらすと論じ、 国内の食糧生産を確保する視点から穀物法を擁護しました( Chapter3参照)。「人口の拡大は食糧生産を上回り、 飢饉の発生は避けられず、ひとたび、 飢饉が発生すれば各国が食糧輸出を制限し、 イギリスのように農業生産力の弱い国はパニックに陥る」、 と主張しました。  

一方、穀物法を廃止し、 自由貿易を推進すべきと唱えた有名人は経済学者デイヴィッド・ リカードです。リカードは国際経済において、 自由競争主義の原理を重視します。自由競争において、 強い産業はますます強くなり、 弱い産業はますます弱くなるという弱肉強食の原理が働きます。 各産業が国際的な自由競争に晒されるなかで、 様々な産業分野の得意・不得意が明確になります。例えば、 当時のイギリスは他の国々に先んじて産業革命を達成し、 その工業製品は良質で安く、国際的な競争力がありました。一方、 農業分野において、 イギリスは肥沃なフランスに明らかに劣りました。 工業優位のイギリス、農業優位のフランスという、 両国の産業の特徴があります。

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デイヴッド・リカード 1821年 T.フィリップスによる肖像画

 

リカードは「それぞれの国が得意な産業に資本を重点投入し、 成長させて、互いに不得意な産業分野を補い合い、 互恵的な国際分業の関係を構築するべき」、と主張しました。 国際的に比較優位な産業に特化し、 効率的な生産を拡充させるべきとするリカードの主張を「 比較生産費説」と言います。こうした観点から、 リカード穀物法を廃止し、 イギリスは得意の工業分野の売り込みに特化するべき、 と論じたのです。   

 

リカードの言うようにならなかった現実  

マルサスリカードの死後、1846年、穀物法が廃止されます。 輸入農産物にかけられていた関税は撤廃され、一方で、 イギリスは自国の工業品の輸出攻勢をかけ、 イギリスの工業生産は拡充されます。 イギリスは工業経済に資本を集中投下し、 世界経済の覇権を握ることになります。

また、マルサスの主張した食糧危機は起こりませんでした。 農業技術の革新が進み、飛躍的に農業生産高は増大し、 人口増加に食糧供給か充分追い付いたからです。 リカードの主張が受け入れられ、リカードの「比較生産費説」 は正しかったことがある程度、証明されました。そうすると、 現在の日本もTPPに加盟し、関税撤廃・ 自由貿易を推進すべきと考えられるかもしれませんが、なかなか、 簡単にはいきません。  

1846年の穀物法廃止の後、 イギリスは工業化をさらに加速させていくものの、 実際にはリカードの学説通りにいきません。当初、 イギリス製の綿織物製品や機械などがヨーロッパ中に売り込まれて いきます。 製品はある一定のレベルまでは飛ぶように売れるのですが、 そのレベルを越えるとパタリと売れなくなってしまいます。 工業製品などの耐久財が人々に充分に行き渡ると、 それ以上のものは必要とされないからです。 綿のシャツなどを一人で100枚も持つということは、まず、 あり得ません。また、 綿のシャツが朽ちて使えなくなるまでにはそれなりの時間がかかり ます。工業製品の需要には限りがあるにも関わらず、 それを大量生産し続ければ、供給過剰に陥ります。  

フランスの経済学者ジャン=バティスト= セイはリカードとも親交のあった学者で、「供給は需要を生む」 とする「セイの法則」を唱えました。それは「 供給がどれほど増えたとしても、 価格調整で供給品は安くなるので、 安くなれば需要も増えるために、 供給が過剰となることはあり得ない」、という考え方です。 しかし、それは間違っています。人間は豊かになり、 周りにモノが溢れると、いくら安くても買いませんし、「 タダであげる」と言われても要らないでしょう。 豊か過ぎる社会において、「セイの法則」は通用しないのです。  

リカードの「比較生産費説」は、「セイの法則」 が成立する状況を前提にしており、これが成立しない状況では、 また「比較生産費説」も機能しません。 1846年の穀物法廃止後、 イギリスは自国の工業製品をフランスに売り続けました。 1860年には英仏通商条約(コブデン・シュヴァリエ条約) を締結し、包括的な自由貿易協定を、 政治的にも明文化していきます。

しかし、1860年代末期には、イギリスの工業製品がフランスをはじめ、 ヨーロッパ中で売れなくなりはじめます。在庫だけが溜まり、 モノが売れず、供給過剰に陥ります。「セイの法則」 が通用しなくなっていました。一方、 イギリス製品が売れなくなってからも、 フランスの農産品は安定的にイギリスで売れていました。 農産品は工業品と比べ、消費量が一定しているため、 供給過剰にはなりにくいのです。 食べ物の需要は人間が生きていくうえで無くなることはありません 。  

このような状態になると、 工業品を輸出するイギリスが不利な立場となり、 輸出減の貿易赤字が慢性化し、国力を削いでいくことになります。 1870年代には工業品の供給過剰による構造的な大不況となり、 イギリスは大きな打撃を受け、貿易赤字を解消するために、 自由貿易を停止し、保護関税を復活させざるを得ませんでした。 リカードの「比較生産費説」は当初、有効に機能していましたが、 ひと度、供給過剰の不況に襲われると、 膨大な赤字損失を発生させてしまったのです。「比較生産費説」 は供給能力を高めるための合理的な定理なのですが、 皮肉にも供給が高められ過ぎて、 自滅するという事態になってしまったのです。

こうしたことは日本がTPPにどう向き合っていくべきかというこ とを考える良い材料です。リカードの「比較生産費説」 のモデルを現実の国際経済にそのまま、 適用させることは困難であるのですが、一方で、 日本が得意とする自動車などの工業品の輸出攻勢のチャンスを逃すのも問題でしょう。

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