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TPP、なぜアメリカは、包括的な自由貿易にこだわるのか(プレジデント誌インタヴュー)

―――日米のTPP交渉がヤマ場を迎えています。大きな合意や前進があるでしょうか?

6月末、アメリカ議会で可決されたTPA(大統領貿易促進権限法案、通称ファスト・トラック法案)が成立しました。TPAの成立により、TPPなどの貿易交渉の権限が大統領に一任され、議会の承認を経ずに、直接、大統領が交渉の決裁を下すことができます。TPA法案の成立はアメリカのTPP推進に対する本気度を伺わせます。

オバマ大統領は今年の一般教書演説の中で、中国がAIIB(アジアインフラ投資銀行)の参加国を拡大させて、アジアのルール作りをし、経済の覇権を握ろうとしていることの危機感を表明し、TPP交渉を主導していく必要性について触れています。TPPは今年、一定の決着が付くものと思われます。

日米のTPP交渉が難航し、アメリカの有識者から、「日本を外せ」との声が聞かれますが、これは充分にあり得ることでしょう。日本が妥結しなくても、アメリカはTPPをテコにアジア経済を主導していくつもりです。

 

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―――TPPなど、自由貿易について、歴史的な観点からお考えをお聞かせください。

日本だけでなく、各国の人々は「自由貿易は正義、保護貿易は悪」という意識を潜在的に持っています。このような発想がどこから来るのか。先の戦争に由来する部分が大きいのではないかと思っています。

1929年に発生した世界恐慌に対処するため、アメリカやイギリスはブロック経済を形成します。高関税によって、他国からの輸出をブロック・アウトして、自国の産業を優先的に保護しました。世界経済の流通が硬直化し、各国が利己的な政策に暴走し、第二次世界大戦へ突入していきます。

戦争を反省する立場から、1948年にGATT(関税と貿易に関する一般協定 General Agreement on Tariffs and Trade)を作成し、極端な保護主義を世界的に規制しようとしました。これらはドルを世界の基軸通貨としたアメリカの主導で行われ、冷戦を背景に資本主義陣営の結束と経済の安定化を目指しました。こうして、自由貿易が「錦の御旗」として振りかざされ、我々の意識の中で、それに逆らってはならないという強迫観念のようなものが植え付けられてきたように思います。

しかし、私はこの強迫観念が間違っているとは思いません。歴史的に、自由貿易がうまくいく時、国家間の政治的な対立はほとんど生じず、互恵的な社会発展に寄与することができたからです。 

 

―――戦後の自由貿易を巡る歴史というのはどのようなものだったのでしょうか?

戦後、GATT体制の下で、関税率引き下げのための数回の多角的自由化交渉が行われました(図1参照)。アメリカが主導し、各国に自由化を求めました。1970年代以降、こうした自由化の恩恵を最も享受したのが日本です。戦後、アメリカは、台頭する日本やドイツに比べ、産業の競争力に乏しく、高いドル相場を背景に輸入超過に陥り、貿易赤字を増大させていきます。

オイル・ショックなどもあり、1980年代前半、アメリカは悪質なインフレに見舞われます。当時のボルカーFRB議長はインフレ克服のため、マネタリーベース調整を目的とした金利調整を行います。その結果、実質金利は10%を越えました。しかし、金利高に伴い、ドル相場は割高となり、輸入超過に歯止めが利かず、深刻な貿易不均衡をもたらしました。

そして、1985年、先進国は、協調的なドル安を図ることで合意します。これがプラザ合意です。

この間、アメリカの巨大な消費市場に支えられ、日本の経済は躍進しました。アメリカ主導の自由貿易体制は日本に大きな富をもたらしました。一方、アメリカは貿易赤字財政赤字が二重に膨らむ「双子の赤字」に苦しみました。

アメリカは圧倒的に強い国力により、自由貿易の網を世界各国にかけ、世界経済を掌握することを企んでいましたが、現実にはそうはならなかったのです。自由貿易の世界では国力の強い国が得をするという漠然としたイメージがありますが、現実は必ずしも、そうとは限りません。

 

図1 自由貿易交渉の拡大

 

開催年  ラウンド名         参加国数

1947     第1回交渉      23

1949     第2回交渉      13

1951     第3回交渉      38

1956     第4回交渉      26

1960~1961      ディロン・ラウンド           26

1964~1967      ケネディ・ラウンド          62

1973~1979      東京ラウンド          102

1986~1994      ウルグアイ・ラウンド       123

2001~       ドーハ・ラウンド            149

  

―――現在のWTO体制はどのように生まれたのでしょうか?

GATT体制は冷戦の終結後、発展的に解消され、1995年にWTO(世界貿易機関 World Trade Organization)となります。やはり、これもアメリカ主導で展開された自由貿易拡大の動きです。この時、アメリカは新たに、ITの事業戦略のグローバルな展開とその販路を拡大することを狙っていました。

アメリカにとって、70年代~80年代は「失われた20年」でしたが、ITにより、これを挽回しようとして、WTOの枠組みを形成していきます。

世界的に、設備投資に占める情報化投資の割合は年々増え、一般消費者の情報関連機器やソフトウェアの需要も爆発的に増え、アメリカ発のいわゆる「IT革命」が発生します。

WTO発足と同年の1995年、ルービン財務長官が就任し、「強いドル政策」を打ち出します。アメリカは円高に苦しんでいた日本と協調しました。日銀は巨額の為替介入を行い、 1ドル130円の水準に到達します。消費大国アメリカは慢性的な輸入超過に陥っていましたが、「強いドル」により、世界中の投資マネーがアメリカに流れ込み、株高、不動産高となります。消費で流出したマネーが、アメリカへの投資という形で、呼び戻されました。こうして、アメリカは「金融帝国」と呼ばれるようになります。

アメリカは、自国のIT革命と金融帝国化を達成するために、WTOを仲介機能とする多角的自由貿易の枠組みを、従来の鉱工業品の関税自由化だけでなく、新たにサービス、知的所有権、金融自由化等、幅広い分野で適応させ、拡充しました。アメリカはモノ、カネの動きを制するために、WTOの機能と枠組みを最大限、利用したのです。

 

図2 アメリカの自由貿易戦略の変遷

 

1948年 第1次戦略   GATT体制 基軸通貨ドル

1970年代~1980年代   アメリカの「失われた20年」

1995年 第2次戦略  WTO体制   IT革命、金融帝国

2015年 第3次戦略  TPP体制?全般?

 

―――WTOは現在、どうなっていますか?

WTO体制の下、2001年に開始されたドーハ・ラウンド(ドーハ開発アジェンダ)では、貿易円滑化、環境、途上国問題といった新たな自由化のための課題が幅広く協議されます。しかし、この交渉は頓挫したまま、現在に至っています。頓挫した理由は、3つのグループが対立し、利害調整できなかったためです。

農産物の輸出拡大を狙うアメリカ、オーストラリア、南米などのグループ。国内保護を重視するEUや日本のグループ。産業育成のための保護や助成金を要求する発展途上国のグループ。以上の3つのグループが対立し、多国間の抱える諸問題も複雑になり、処理することができなくなってしまいます

そのため、世界各国は多国間のWTO交渉から、二国~三国間の交渉に転換します。こうして、話をつけやすい相手国を見つけ、FTA自由貿易協定 Free Trade Agreement)や、 FTAの発展型のEPA(経済連携協定 Economic Partnership Agreement)を締結する動きが2000年~現在まで、加速することになります。

WTOは中国などの世界160ヶ国に拡がり、それらの加盟国の全ての利害調整を一極的に収拾することはもはや不可能となったのです。これ以降、WTOはかつてのような指導力を失い、形骸化していきます。

 

―――なぜ、現在、TPPというものが議論されているのでしょうか?

ドーハ・ラウンドで頓挫した多国間の自由貿易交渉が2010年以降、TPPという形で復興されます。アメリカがその復興の旗降り役を買って出ています。アメリカのTPP参加の狙いは、リーマン・ショック後の停滞する世界経済の中でも、経済成長の著しいアジアを中心とした太平洋経済圏に強くコミットし、利益を確保していくことです。農産物の分野だけでなく、金融、医療、保険、サービスと様々な分野での進出をアメリカは狙っています。

日本では、アメリカに市場を荒らされるのではないかと懸念する声も強いのですが、日本もアメリカの市場をはじめ、他国の市場へと進出するチャンスを獲得することができます。「TPP亡国論」のようなものがありますが、日本が被るデメリットばかりが強調されています。自由貿易により、国際競争に晒される中で、淘汰されてしまう分野や事業は当然、発生すると思われますが、保護主義に固執する損失もよく考慮されなければなりません。

日本はアジアを中心とする世界各国と既に、FTAなどの経済連携を進めており、決して自由貿易協定で遅れをとっているわけでもなく、鎖国のような保守主義のスタンスをとってきたわけでもなく、過去も現在も貿易をはじめとする様々な分野を世界に開き、世界各国と協調・連携をしています。関税なども他国に対し、優し過ぎるのではないかというくらい低く、自由貿易の先端を走る国です。

日本のような経験豊かな大国がTPP交渉に参加し、主導権を握ることは充分、可能です。

 

―――日本にとって、TPPは危険なものではないのでしょうか?

危険が無いとは言い切れないでしょう。TPPの参加条件を整えるための日米交渉はアメリカの農産品への関税引き下げとバーター(交換)に、日本車の関税引き下げを主な論点にしています。

しかし、アメリカは最近、日本車はいわゆる日本製ではないため、交渉の対象にはならない、と主張しはじめました。日本の車の生産ラインは国外にあり、その製造部品の大半が国産ではありません。日本にとって、言い掛かりのような話をアメリカは平然と持ち出してきます。その形態や根拠、展開の方法も様々であり、いつ、どこから、矢が飛んで来るか分かりません。

このような交渉の駆け引きをUSTR(アメリカ合衆国通商代表部 Office of the United States Trade Representative)が行います。USTRはアメリカ大統領府内に設けられた通商交渉のための機関で、その代表は長官に相当する閣僚で、大統領に直属し、大使の資格を与えられています。

歴代代表には 橋本龍太郎元総理と竹刀の組みをしたことで有名になったミッキー・カンターや、ジョージ・W・ブッシュ時代の親日派で有名なロバート・ゼーリック、そして、現代表のマイケル・フロマンなど強烈なタフ・ネゴシエーターが揃っています。

また、USTRは通商を専門とする弁護士の集団を常備した戦闘組織です。日本にとって、一筋縄ではいかないのは言うまでもありません。アメリカはISD条項、ラチェット条項、スナップバック条項など、様々な「毒素条項」と呼ばれる手段を講じながら、自国の利益を最大化しようとするでしょう。日本も早急に、このような国際通商の法務技術を磨いていかなければなりません。 

 

―――今後、日本はTPP交渉にどのように臨んでいくべきでしょうか?

TPPは多国間の包括的な自由貿易のための枠組みであると言われますが、実際には様々な例外品目が設けられます。本来、TPPは例外なく、加盟国間における全品目の関税を撤廃することを目指すものですが、これは建て前に過ぎません。

日本やアメリカのような大国がTPPに参加する目的は成長著しいアジアのエネルギーを取り込むことにあります。TPPというのは理想を掲げた大義名分であり、実質的にはアジアへのマーケット・シェア拡大のための静かなる戦争と言ってよいでしょう。アメリカとのTPP交渉合意はアジア経済戦争の参戦への入り口となります。

19世紀、イギリスは穀物法と呼ばれる農産品関税を廃止し、フランスと英仏通商条約(コブデン・シュヴァリエ条約)を締結し、包括的な自由貿易協定を構築しました。その結果、大陸から安い農産品が輸入され、農産品の価格低下が進みました。農家の所得も減少し、経営不振に陥った農家は淘汰されていきました。

しかし、生き残った農家は、経営改善を徹底し、新しい作付け方法、肥料、農機具など様々な農業技術を開発しました。逆境の中で鍛え上げられたイギリスの農業生産は質量ともに向上します。貿易の自由化による農産品の輸入攻勢でイギリス農業が潰滅したという事実はありません。穀物法廃止やコブデン・シュヴァリエ条約以前の1830年、イギリスの食糧輸入率は28.5%でした。1850年は33.7%、1870年は33.1%と、ほぼ横ばいで推移しています。

TPPで日本の農業が潰滅するという悲観論ばかりではなく、歴史を検証してみると、経済学者のデイヴィッド・リカードの唱えた「比較劣位」の産業が自由貿易で常に淘汰されるとは限らないということが分かります。逆に「比較優位」な産業が他国のマーケット・シェアを制するとも限りません。

様々な状況の変化が、予測や一般理論を裏切るというのが自由貿易の競争現場であるのです。TPPという壮大な戦いと可能性に日本が挑むことができるかどうか、我々は岐路に立たされています。

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