秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さま婚約 「教皇は太陽、皇帝は月」

教皇は太陽、皇帝は月」
第4回ラテラン公会議における教皇インノケンティウス3世の演説の一節(1215年)

眞子さま 
太陽のような明るい笑顔だったと思いますが、性格を深く知るうちに、・・・
小室さん 
宮さまは私を月のように静かに見守ってくださる存在でございます。とても愛情深く・・・

(秋篠宮ご夫妻の長女・眞子さまと小室 圭さんの婚約の記者会見より)


そんな意味ではないとは思いますが、どうしても、この言葉が連想されてしまいます。太陽と月のたとえが・・・うーん。
まあ、穿った見方ですよね。それにしても、もう少し別のたとえもあったように思うんですよね。あえて、太陽と月でなくても。一般家庭の人どうしの結婚ではないんで。

 

では、教皇の歴史を少しばかり。

教皇はローマ・カトリック教会の主座であり、キリストの12使徒の一人ペトロの後継者です。ペトロがローマにやって来て、この地に教会を開きました。当初、ローマ帝国の迫害を受けながらも、ローマ教会は信徒により、守られて、発展していきます。ローマ帝国が4世紀にキリスト教を公認して以降、ローマ教会の地位が確立し、その主座である教皇の地位も認知されました。ローマ教会の教皇が使徒ペトロに由来する特別な起源を持つことから、キリスト教世界の指導者となります。5世紀半ばの教皇レオ1世は「自分の声はペトロの声である」と述べ、イエスや使徒の代理人を自認します。教皇の位は歴代引き継がれ、今日まで続いています。
このようなローマ教皇の権威の高まりに東側のビザンツ帝国は脅威を感じました。ローマ教皇も強大なビザンツ帝国に対抗するため、前述のようにゲルマン人と結託をし、ゲルマン人の王カールを皇帝として、800年、カール大帝を誕生させました。9世紀のカール大帝と10世紀のオットー1世の時代は教皇と皇帝は協調関係を結んで、強大なビザンツ帝国と対峙していました。

しかし、11世紀に東方のイスラム勢力のセルジューク朝からビザンツ帝国は攻撃され、以後、急速に衰えていきます。ビザンツ帝国の弱体化で西側にとっては脅威が去り、もはやビザンツ帝国に対抗するための教皇と皇帝の協調は必要なくなり、解消され、さらに対立へと向かいます。
西側ヨーロッパでの教皇と皇帝の抗争は教皇勝利し、教皇は皇帝やイギリス、フランスなどの各地の王や諸侯なども従え、強大な権力を持ちました。教皇は十字軍を編成し、軍事権をも握ります。十字軍は東側ヨーロッパに侵入したセルジューク朝を撃退することに成功し、キリストの生誕の地イェルサレムを防衛することを任務とします。十字軍は東方にあって、ビザンツ帝国に圧力をかけ、東側ヨーロッパを支配するに至ります。十字軍の指導者たる教皇の権威も高まり、13世紀に教皇インノケンティウス3世が登場し、教皇権力の絶頂期を迎えます。彼は「教皇は太陽、皇帝は月」と教皇権の強大さを喩えました。

 

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 インノケンティウス3世(Innocentius III、1161年 - 1216年7月16日)

 

 

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