朝鮮半島、危機は突然訪れる!①

・本当に大丈夫なのか

朝鮮半島の有事の危機の高まりの中、こんな声が聞かれます。

「ソウルは北朝鮮の間近にあるのに、大丈夫なのか?」

「有事の時に、市民はソウルから避難できるのか?」

北朝鮮弾道ミサイルを発射し、挑発を繰り返す中、米軍が持つ11隻の原子力空母のうち、3隻が北朝鮮近海に集結するという事態となり、あわや朝鮮有事かと危ぶまれました。

「ソウルは今、危ないから旅行をキャンセルする」と言って、せっかくの旅行を取り止めた人もいたでしょう。ソウルから板門店の休戦ラインまで、北に約60km、車で一時間の距離です。有事の際、ソウルが無事では済まないのは言うまでもありません。

私はさすがのトランプ大統領も、北朝鮮を攻撃することはできないだろうと、多くの人と同様に感じていました。今のアメリカには巨額の軍事費を負担できる財政余力もなく、ロシアや中国との大国との関係を考えれば、北朝鮮への軍事介入など、できるはずがありません。「心配いらない」と。

しかし、有事や戦争というものは、そのように皆がタカを括っているときにこそ、突如、起こるものです。今から67年前の朝鮮戦争の時もそうでした。

 

・「また、いつもの小競り合いか」

1950年6月25日午前4時に、約10万の北朝鮮軍は何の前置きもなく、突如、北緯38度線を越えて、侵攻してきました。この日は日曜日で、多くの韓国側の軍人は登庁しておらず、また、農繁期のため、帰郷していた軍人も多く、警戒態勢をとっていませんでした。大統領の李承晩(イー・スーマン)をはじめとする政府首脳部も北朝鮮軍の侵攻を想定していませんでした。

首脳部はアメリカやソ連、中国などとの関係を考えれば、北朝鮮が戦争などできないと考えていました。つまり、今日の我々と同じように「できるはずがない」という前提が強く共有されていたのです。

以前にも、頻繁に38度線を挟み、小競り合いが生じていました。韓国軍の上層部は事態の確認に時間をとられていました。彼らは防衛線を次々と突破されてはじめて、戦争がはじまったと気付いたのです。

李承晩大統領は自宅で、日曜日の朝、くつろいでいました。軍部から李承晩に第一報が入ったのが侵攻から6時間後の午前10時でした。李承晩は最初、報告を聞いた時、「また、いつもの小競り合いか」と聞き流したそうです。報告をした大統領秘書が「今回はそうではないようです」と血相を変えて答えると、ようやく李承晩も事の重大さに気付きます。

現代の我々も、「また、いつものミサイル発射か」とだんだん不感症になっているのは怖いことなのです。戦争がはじまるにあたり、相手がいつも宣戦布告してくるとは限りません。戦争がはじまったと気付いた時には、機先を制されてしまって、もはや対処が難しいということはよくあります。今も昔も、そのことは変わりません。

 

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 朝鮮戦争勃発当時の北朝鮮の戦車部隊(写真=AFP=時事)

 

・大統領の逃亡

慌てた大統領は国防長官の申性模(シン・ソンモ)を呼び、前線の状況を問いました。この時、既に韓国軍は不意を突かれて大混乱に陥り、各防衛線で敗退していましたが、申性模は「我が国軍が勇敢に戦っている」と強がりを言って見せました。李承晩は文民出身で軍事に疎く、申性模の報告を鵜呑みにして、とりあえず安心しました。

アメリカ帰りの李承晩は、英語が堪能で、駐在米軍に自ら電話を掛けまくり、アメリカ人将校らに「何とかしろ!」と怒鳴りつけ、迷惑がられたようです。一方で、李承晩はアメリカが迅速に対処してくれるものと決め込んでいました。しかし、アメリカ軍も戦争の準備は全く整っておらず、その動きは緩慢で、トルーマン大統領は北朝鮮の侵攻開始から10時間後にようやく、報告を受けるという有り様でした。

北朝鮮軍は高度に統制されて、侵攻作戦を綿密に計画しており、抜け目なく正確に作戦を展開し、破竹の勢いでソウルへ向けて進撃していました。

この緊迫した事態を国防長官の申性模は自らの体面を考え、李承晩に報告しませんでした。既に、ソウルの北郊の議政府市が突破されようとしているにも関わらず、李承晩は国民の不安を鎮めるため、ラジオで「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」と呼び掛けます。

開戦2日後の6月27日の午前3時の夜中に、李承晩は警護主任に叩き起こされます。何事だと訝る李承晩に警護主任は「北朝鮮軍がソウルへ入りました。すぐにソウルを脱出してください」と告げました。

大統領官邸はパニック状態となり、李承晩も「報告を受けていることと違うではないか」と喚きながらも、警護の者に引き連れられて、特別列車でソウルから逃亡します。李承晩大統領はソウル市民を置き去りにして、自分だけはサッサと逃げたのです。ソウル市民はこの時、大統領のラジオ声明を信じ、すぐに戦火は収まるものと思っていました。

 

拙稿プレジデント・オンライン記事元

http://president.jp/articles/-/22678

 

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