朝鮮半島、危機は突然訪れる!②

・当てにならない責任者

2014年、韓国のセウォル号が沈没した際、避難誘導の任にあたるべき船長が真っ先に逃げました。船長は「船室で待機するように」との船内放送を流しており、この指示に従って船室にとどまった乗客は水が船室に流れ込み、出れなくなってしまいました。修学旅行生ら293人の若い命が失われました。

1950年の朝鮮戦争の際、李承晩大統領はラジオで「国軍が北朝鮮軍をよく防いでいる。落ち着いて行動するように」という放送を流します。ソウルに北朝鮮軍が迫っていましたが、ソウル市民はこの放送を信じて、避難行動を取りませんでした。

ソウル北郊の住民たちが大挙、ソウルへと避難し、大砲の音が間近に聞こえた時、ようやくソウル市民は「これはタダ事ではない」と気付きはじめたのです。この時、李承晩大統領は既にソウルから脱出していました。

ソウル市民は北朝鮮に対し、「同族」の意識が強くありました(今でもある)。同じ民族どうしで、殺し合いなどできるはずがないと。民族を分断する戦争というものへの実感がほとんどなかったのです。そのため、市民の多くは大砲の音が間近に聞こえても、血に飢えた敵軍が迫っていると理解できなかったのです。

 

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北朝鮮軍の突然の侵攻に打つ手なしだった李承晩・韓国大統領(左)。右はダグラス・マッカーサー連合国軍最高司令官(写真=AFP=時事)

 

・3日前まで誰も

一方、「逃げ遅れれば殺される」と危険を感じ取ったソウル市民は避難しはじめました。ソウルから南へ逃れるには漢江(ハンガン)を渡らなければなりません。市民は漢江大橋に殺到し、付近は大混乱でした。

1950年6月25日、北朝鮮軍が38度線を越えて侵攻を開始して3日後、北朝鮮軍はソウル市内に突入します。韓国軍は北朝鮮軍の南下を食い止めるため、漢江大橋を爆破する計画を李承晩大統領に報告します。

ほとんどのソウル市民は未だ、市内から避難していません。橋を爆破するということは彼らを見殺しにするということです。李承晩はそれをわかっていながら、橋の爆破を許可しました。

午前2時30分、夜中でしたが漢江大橋の付近に、押すな押すなと市民が詰めかけていました。軍が市民を制止しようと試みましたが現場はパニック状態でもはや統制不可能でした。約4000名の市民が橋の上を徒歩で渡っている最中、橋は爆破されました。橋の上にいた市民約500~800名がこの爆破で死にました。

漢江北岸には多くの市民が取り残されました。この時、市民は自分たちが政府に見捨てられたのだと実感しました。

しかし、政府が見捨てたのは市民だけではありません。韓国軍の数千人に及ぶ部隊が未だ、取り残されていました。彼ら軍人は1000両にも及ぶ車両やおびただしい武器を持っていましたが北朝鮮軍にそれらを接収された上、殺されました。

市民は警官、役人、地主などから順番に、北朝鮮軍に殺されていきました。北朝鮮軍が軍事侵攻をしてからわずか3日、ソウルは地獄と変わり果ててしまいます。3日前まで、こんなことが起こるとは、ソウル市民は誰も想像しなかったでしょう。

 

・ひたすら逃げた

漢江大橋は爆破された一般橋(人道橋)と、それとは別に、少し離れたところに鉄道橋が掛かっていました。軍はこの鉄道橋の爆破に失敗しました。そのため、北朝鮮軍はこの鉄道橋を通って、戦車部隊を南に送り込むことができました。

一般橋の爆破で、多くの市民が渡河できず、犠牲になりましたが、鉄道橋が破壊されなかったため、結局、北朝鮮軍を足止めすることはできませんでした。とんでもない失態です。当時の韓国軍の管理体制がいかにズサンなものであったかがよくわかります。政府は爆破の現場の実行者のせいにして、彼らを処刑します。

李承晩大統領は大田(テジョン 韓国中部の都市)に逃げ、そこまで北朝鮮軍が迫るとさらに大田を捨て、大邱(テグ 韓国南部の都市)に逃げます。さらに、大邱にも北朝鮮軍が迫ると、釜山に逃げました。李承晩は7月2日に釜山に到着しています。

韓国軍は漢江大橋爆破以後、士気を大きく低下させて、指揮系統を失い、北朝鮮の進撃にまともに抗戦することもできませんでした。

しかし、ようやく開戦から1週間経った7月2日以降、アメリカ軍が本格的に部隊を送り込みます。李承晩ら政府の首脳部が当てにしていたアメリカの軍事介入はアメリカ本国との連絡調整、準備などに手間取り、遅れていました。アメリカのトルーマン大統領は朝鮮半島への介入に、慎重かつ消極的でした。この間、釜山が陥落していたとしても不思議ではない状態でした。

アメリカ帰りの李承晩は口を開けば、「アメリカ、アメリカ」でした。その彼の面子も大いに潰れたのです。過度な同盟依存はろくな結果とならない。歴史が教える教訓です。

 

拙稿プレジデント・オンライン記事元

http://president.jp/articles/-/22685?page=3

 

 

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