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原点を忘れるな!憲法改正が必要な理由

集団的自衛権の発動を可能にさせる憲法
安倍総理が2020年を目標に憲法9条に「加憲」すべきと表明した。憲法9条1項、2項の文言を維持したまま、3項を追加し、自衛隊の存在を明文化するという趣旨だ。
これを聞いて、真の保守や憲法改正論者は怒っている。怒らない人はエセ保守だ。
そもそも、なぜ、憲法改正が必要なのか。現行憲法では、集団的自衛権を発動させることには、ムリがあるからだ。安保法制の規定は拡大解釈の上に拡大解釈を加え、憲法との整合性という観点からは実に際どい代物だ。違憲という解釈も当然、成り立つ。
60年日米安保論争の時代に、安倍首相の祖父にあたる岸信介首相が集団的自衛権の「制限的保有論」を唱えた。憲法9条は「戦争の放棄」、「戦力の不保持」、「交戦権の否認」を定めており、内閣府法制局は集団的自衛権を「憲法上、行使できない」とする姿勢をとり、結果、岸首相の「制限的保有論」は認められなかった。
   これが、現行憲法の限界として、認識されるべき重要な前提である。憲法改正の最大の狙いは、今日の国際情勢の危機に対応することができるような集団的自衛権の発動に、充分な根拠規定を与えることである。

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日米安保条約改定の調印を終え、羽田空港に到着した岸信介首相ら一行(1960年)

 

・余計な議論を引き起こしかねない
安倍総理は9条に3項を加え、自衛隊の存在の根拠規定を明文化する狙いを持っているようだが、9条1項・2項がそのままでは、どのように追加項を入れたとしても、自衛隊の存在を違憲と捉える人は絶えない。自衛隊は既に合憲であるが、もっとハッキリとその存在の正当性が明示されるような、また、それに反論の余地を残さないような、抜本的な憲法改正が必要だ。(違憲とする憲法学者は未だ未だたくさんいる。)

憲法前文において、「平和的生存権」が日本国民にある、と定められ、また、憲法第13条において、「生命、自由および幸福追求に対する国民の権利」も定められている。政府は、憲法前文と第13条の趣旨を踏まえ、「憲法9条は、外部からの武力攻撃によって、国民の生命や身体が危険にさらされるような場合に、これを排除するために必要最小限度の範囲で実力を行使することまでは禁じていない」と解釈している。「わが国がみずからの存立を全うし、国民が平和のうちに生存する」ことを守るためにも、自国防衛の武力行使を放棄しないということであり、そのために自衛隊の存在が認められている。
憲法9条に3項を加えるというのは何の意味もないことで、既に認められている自衛隊の存在を追認するかどうかという余計な議論を引き起こしかねない。また、3項加憲が国民投票で否定されるようなことにでもなれば、エライことだ。

 

・議論にハッキリと終止符を打つ
憲法には自衛権の規定はないが、日本が他国から一方的に武力攻撃や武力侵略を受けた場合、それを阻止する手段はやはり武力しかないため、その場合に限り、武力行使が認められると解されている。自国を守るための自衛権行使は専守防衛という条件においてのみ、これを許容するという趣旨である。国家が「自国を守る」ための固有の権利、つまり、個別的自衛権のみを認めている。(そもそも、「集団的」か「個別的」かについて、明確な線引きなどできないが。)
安保法制は可能でないものを可能にするよう、「歯止め論」や拡大解釈を組み合わせ、無理矢理に偽装させられたもので、堅固な法的根拠を持ったものとは言えない。左派に付け入る隙を与えるだけだ。彼らは「安保法制が違憲だ」と喚き続けている。
これではダメだから、集団的自衛権の行使を絶対かつ充分に可能にするよう、憲法を改正しなければならない。集団的自衛権が認められるか否か、安保法制は是か非かといった法的な議論にハッキリと終止符を打つような憲法改正でなければならない。憲法9条に3項を加える中途半端な処置ではこのような不毛な議論を終わらせることができない。
一方、集団的自衛権が拡大解釈をされると、際限なく、武力行使することが論理的に可能となる。集団的自衛権の適用範囲を明確に定めておく法整備は一連の安保法制で一応、整っているが、憲法改正の暁には、新しい憲法との整合性において、さらに緻密な歯止め論を構築していけばよい。

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